令和5年度現地研修Ⅱ・平泉

9月15日(金)、今年度の第2回現地研修を行いました。
今回は「芭蕉の泊まった大山の場所を探る」のテーマで、岩手県平泉への日帰りです。
そもそも松尾芭蕉が大山に泊まった、という史実ですが、曽良日記に次の記述があります。
「(元禄2年6月)廿五日 吉。酒田立。……中略……未の剋、大山に着。状添て丸や義左衛門方に宿」
では大山の「丸や義左衛門方」とはどこか?それを解く鍵が、平泉中尊寺境内の積善院(しゃくぜんいん)という所にあるのです。ここの先代の御住職が、奥の細道の名跡を訪ねて写真に残し、その中に「大山 丸や義左衛門宅」という1枚があるという。そこで平泉まで足を延ばし、確かめようというのが、今回のテーマに決めたきっかけでした。
朝7時に37名の参加者を乗せて出発し、平泉までバスで片道4時間。平泉は奥の細道の最北地点で、芭蕉はここで折り返しました。「五月雨の降りのこしてや光堂」などの句を残しています。中尊寺の他に、平泉文化遺産センターや、毛越寺(もうつうじ)を見学して帰りました。
さて、芭蕉の泊まった家は分かったのでしょうか?
積善院には芭蕉が泊まったとされる、丸や義左衛門宅跡の写真が確かにありました。昭和30年頃の撮影なので、現在の街並みとは大きく変わっています。しかし残念ながら、なぜここが、丸や義左衛門宅の跡だと推定したのか、その証拠となる記録はありませんでした。今後の調査により明らかになることを期待したいものです。

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