庄内藩と新発田藩の歴史をたどる特別な一日~大山文化財を愛する会が新発田現地研修を実施
2025年9月24日、大山文化財を愛する会が主催する令和7年度現地研修Ⅱで、32名の参加者が新発田市を訪れました。この研修は、庄内藩主酒井忠勝の二女伊予姫が越後国新発田藩主溝口重雄に嫁いだ歴史的縁に着目し、両藩の深いつながりを学ぶ旅です。
当日は清水園が祝日翌日のため急遽休館となりましたが、蔵春閣の見学に変更し、充実した研修となりました。参加者たちは午前8時に大山コミュニティセンターを出発し、まず白壁兵舎広報資料館で見学とトイレ休憩を取った後、新発田城へ向かいました。
新発田城では専門ガイドの詳しい解説を聞きながら、江戸時代の城下町の暮らしぶりから幕末の動乱まで、羽越地方の歴史を体感しました。昼食は大倉庭園カフェで取り、新発田市出身の大実業家大倉喜八郎が所蔵していた貴重な石塔や、喜八郎がこよなく愛した当時の風景を再現した日本庭園を眺めながら、ゆったりとしたひとときを楽しみました。
午後は清水園と足軽長屋の見学を予定していましたが、両施設が休館日だったため、外側からガイドの説明を受けました。その後、寺町通りを散策し、宝光寺では歴代溝口家の菩提寺として、四代溝口重雄(しげかつ)の墓碑の隣りにある継室伊予姫の墓碑について、ガイドから詳しい説明を受けました。
伊予姫は寛永十六年(一六三九)に江戸で生まれ、承応元年(一六五二)に十四歳で新発田藩主溝口重雄に嫁ぎました。この縁組により庄内藩と新発田藩は親密な関係を築き、使者や飛脚のやり取りが頻繁に行われていました。伊予姫は貞享二年(一六八五)に四十七歳で没し、その死に際しては庄内藩でも三日間の鳴物・普請停止が行われるなど、両藩の絆の深さを物語っています。
参加者を乗せたバスは午後6時に大山コミュニティセンターに到着し、江戸時代の政治的結びつきから生まれた両地域の歴史的つながりを深く理解する貴重な一日となりました。











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