江戸時代の武士たちはなぜ鳥刺しに熱狂したのか?庄内藩の意外なレクレーション文化に迫る
5月14日、大山文化財を愛する会の定例講座が開催され、26人の会員が集いました。今回の演題は「庄内藩の鳥刺しと磯釣り」。鶴岡市郷土資料館の今野章館長補佐を講師に迎え、江戸時代の庄内藩士たちが熱中した娯楽文化について、貴重な古文書をもとに語っていただきました。
講座の中心となったのは「鳥刺し」です。鳥刺しとは、細い竿の先に鳥もちをつけて小鳥を捕らえる技法で、庄内藩では「武用の一助」として公式に認められていました。ただ今野先生がおもしろいと語ったのは、藩が奨励していたわけではなく、あくまでも黙認に近い実態だったとのことでした。
藩士たちの熱中ぶりは想像をはるかに超えるものでした。頂いた資料の、秋保政右衛門が書き残した「野合日記」には、文化11年から慶応年間にわたる約50年間の記録が細かく残されており、月に何度も(ときには毎日の様に)往復4~5時間もかけて鳥刺しに出かけ、1回で100羽を超える小鳥を捕らえることも珍しくなかったといいます。100羽刺せるようになれば「名人」の域と言われたそうです。
捕らえた鳥は焼いて砂糖醤油で食べたそうで、参加者からは「当時、砂糖は貴重ではなかったか」との質問も出ました。それほど鳥刺しは藩士たちにとって日常的かつ美食の楽しみでもあったのでしょう。家老クラスの上級武士も参加していたとのことで、武士たちの身分を問わない庄内藩全体を覆った文化だったことがわかりました。
磯釣りについても興味深い話が続きました。藩士たちは夜のうちに鶴岡を出発し、夜明け前の午前4時頃には大山村を通過、加茂や由良の磯へと向かっていました。名竿(良い釣り竿)への執着は「名竿は刀より得難し」と言われるほどで、武士が刀よりも釣り竿に情熱を注いでいた姿が微笑ましくもあります。また藩主の磯釣りは、80人規模で加茂や湯温海にお出かけしていたことも語られました。
海での事故も記録されており、荒磯で波にさらわれて亡くなった藩士もいました。それでも熱が冷めなかったのが庄内藩士らしいところです。
普段聞けない庄内藩の武士の素顔に触れられる、充実した90分でした。次回の定例講座もぜひ足をお運びください。













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