令和8年度 第2回定例講座 「大山騒動を考える」

歴史の謎に迫る熱気の午後 「大山騒動」講座に37名が参加 ―― 大山文化財を愛する会

大山文化財を愛する会による令和8年度の講座が、7月9日(木)午後1時30分から大山コミュニティセンターで開催され、37名の参加者が集まりました。今回のテーマは「大山騒動を考える」。講師には地域史研究者の升川繁敏氏をお迎えし、江戸時代後期に庄内地方を揺るがした未曾有の惣百姓一揆について、豊富な史料をもとにお話しいただきました。

大山騒動とは、天保15年(1844年)、庄内・由利二万七千石、73か村の天領(幕府直轄領)の百姓たちが、庄内藩預り支配への切り替えという幕命を忌避し、従来どおりの代官支配の継続を求めて起こした大規模な訴願・蜂起です。同年2月に幕府への歎願運動が始まり、3月には田川・飽海・由利三郡73か村の村役人惣代らが連名で願書を尾花沢代官所に提出、4月初めには江戸での駕籠訴にまで及びました。

しかし願いは容れられず、4月26日から28日にかけて、御料の領民ら約4千人が大山に集結。出入口に竹矢来を組み、橋板をはがして道を閉ざし、支配替えの引き渡しを実力で阻止するという緊迫した事態に発展しました。

その後の弾圧は苛烈を極めます。同年7月には関東取締役の役人が大山村に入り、騒動の指導者を次々に逮捕。越後国塩野町での取調べを経て、弥左衛門、三郎治ら5名が江戸に送られましたが、5人はいずれも判決を知ることなく相次いで江戸の牢で獄死しました。弘化3年(1846年)に申し渡された判決では、獄門・遠島をはじめ処罰は約3,500名余りに及び、73か村すべてに広がる過酷なものでした。入牢者の費用や旅費まで村々の負担とされ、地域に重くのしかかったといいます。

升川氏は講座の中で、騒動の背景として、庄内藩預かり時代の役銭取立や米価に見合わない石代納、用水の差別的な取り扱い、さらには文化2年の善右衛門一件や文政年間の彦市一件など、積み重なった領民の不満と怨念があったことを指摘されました。また、首謀者とされた弥左衛門ひとりの「遺恨」によって騒動が起きたとする通説には強い疑問があり、それでは3千人を超える広範な処罰との矛盾を説明できないと問題提起されました。

大山には、獄死した5名を「愛郷ノ志ヲ懐キ身ヲ犠牲ニシテ」尽くした義民として称える「大山騒動義民供養塔」が今も残されています。升川氏は「これまでの通説でいいのか。不明な点が多い大山騒動は、今後さらなる研究が求められる」と締めくくられ、参加者は郷土の歴史に秘められた謎に思いを馳せながら、熱心に聞き入っていました。

大山文化財を愛する会では、今後も郷土の歴史と文化財に親しむ講座を開催してまいります。皆さまのご参加をお待ちしております。

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