令和4年度 第2回定例講座「加茂・秋野家の地主経営と大山地区」

7月6日(水)の猛暑の午後、大山コミセンで今年度の第2回定例講座が開かれました。
今回は地域史研究家の升川繁敏氏を講師にお迎えし、「加茂・秋野家の地主経営と大山地区」についての講演です。升川氏は、鶴岡市史編纂委員、山形県地域史研究協議会、ワッパ騒動義民顕彰会など、多方面でご活躍中です。
お話の本筋ではなく印象に残ったのは、江戸時代の庄内は「縄のび」(台帳よりも実際の土地面積が広い)が多かったとのこと。
酒井家は庄内に入部して、一度検地をしただけだったので、それから農民がせっせと広げた農地が、土地台帳から漏れていました。つまり農民にすれば、表向きよりも多くの農地を所有して、暮らしが楽だったわけです。
そこへ起こったのが、天保年間のいわゆる「三方国替え」。幕府が庄内、長岡、川越の三藩を玉突き式に国替えしようとした事件です。
農民たちはあわてました。新しい藩主が来れば、必ず検地をする。そうしたら縄のびがバレてしまう。年貢が重くなるぞ、さあ大変。
しかし幕府に、「年貢が重くなるのは嫌だから、国替えをやめてください」とは言えません。それでは普通の一揆と同じで、捕まったら処刑されます。
そこで考えたのが藩主を持ち上げて、「すばらしい殿様だから他へ行かないでください」とアピールすること。「百姓といえども二君に仕えず」を旗印に運動を起こし、ついに国替え命令を撤回させたのです。
この騒動を天保義民事件として、「領民が藩主の善政を称え、恩に報いようとした美談」と美化する人がいますが、真相はこんなところでしょう。
しかし不利な状況にもめげず、知恵を絞って勝利を勝ち取った、ご先祖達のしたたかさとパワーはすごいものです。現代人も見習いたい。

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