令和5年度第2回定例講座「平泉中尊寺につながる庄内」

7月5日(水)、大山コミセンで今年度の第2回定例講座が開かれました。
今回は地域史研究家、鶴岡市史編纂委員の、升川繁敏氏を講師にお迎えし、「平泉中尊寺につながる庄内」という講演です。
平安時代から鎌倉時代初めに、庄内地方南部を治めていたのは田川氏の一族でした。
田川氏は奥州・藤原氏の庇護を受けて、郡司(在地領主)として庄内を統治していました。当時の庄内は藤原氏の強い影響力の元にあり、京の貴族でも勝手に口を挟むことは出来ませんでした。
源義経が奥州・藤原氏を頼って平泉に逃げたのち、源頼朝は義経討伐のために鎌倉から御家人、比企能員(よしかず)らを差し向けました。
藤原泰衡の命を受けた田川太郎行文は、出羽国境の警備に当たっていましたが、比企の軍と戦って敗れ、さらし首にされたと記録に残ります。
田川氏が滅び、奥州・藤原氏も滅亡したあと、日本は鎌倉幕府の支配する時代となりました。
現在の鶴岡市田川地区には、田川氏にちなんだ遺跡が、多く残されています。
今年9月の現地研修では、平泉を訪問しますが、今回の講演でいっそう平泉への興味が深まったことと思います。ちょうど時期を得たお話でした。

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